札幌地方裁判所 昭和25年(ワ)514号 判決
原告 那須捨松
被告 相島芳枝
一、主 文
被告は、原告に対して金五万円を支払え。
原告その余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを十分し、その一を被告、その九を原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は「被告は、原告に対し金五十万円を支払え、訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決ならびに担保を条件とする仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、
原告は、昭和二十四年九月二十八日診療に従事する医師である被告の診察を受けたところ、心臓に疾患があるようだというので、その治療として被告は、原告に対し、皮下注射をした。原告は、その後も被告からの右治療をつづけていたが、同年十月二十六日午後四時頃原告がその右腕上膊部に被告から数回目の皮下注射を受けて間もなく、非常な発熱と疼痛を覚え、右注射部分は、爾次赤腫状態を呈し、苦痛甚しきに至つた。これに驚いた原告は、翌二十七日以来被告に対し、右事情を訴えて再三その来診を求めたにもかかわらず、被告は、同月二十九日に至つて、なお、三日程経過すれば完全に化膿するから、そのうえで化膿部分を切開する、それまでの手当として患部を湿布薬で冷すよう指示しただけで、ついに来診しなかつた。原告は、被告の指示に従うのほかなく、湿布薬を買い求めて患部を冷しつつ、容易におさまらぬ疼痛に呻吟しながら、只管、時の経過を待ち、同年十一月二日頃、半死半生の姿で漸く被告を訪れ、その診察治療を受けたが、この間病勢は悪化して、原告の疾患は、右上膊皮下膿瘍に進展していた。而して被告は、右治療をなすにあたり、曩に、被告が原告に注射した部位附近二ケ所を切開したのであるが、排膿がないというので切開部を繃帯しただけで終つた。ついで三日間に互る検診においても、単に切開部のガーゼの取替えをする程度に止まり、治療の曙光更にない折柄、被告は、札幌市に出向いてしまつて不在となり、その間の原告の患部の手当は、被告の叔母に申付けてこれにあたらせていたのであるが、同人は、被告の家事手伝人に過ぎないうえに、原告は、その患部が益々腫脹し、苦痛が一層激化してきたので、被告からの診療をこのまま継続することは不安に堪えず、意を決して同年十一月十日鵡川厚生病院に赴いて鮫島医師の診察を受けたところ、同医師の治療よろしきを得て、疼痛次第に減退し、漸く快方に向つたが、原告は、ついに右手に重労働に堪え難い機能障害を胎し、これがため後記のとおり有形無形の損害を被つた。この被害は、要するに被告のつぎにのべるような不法行為に基因するものである。すなわち、本件被告の立場にあつて医療にあたる医師としては、注射をなす場合には、これが注射器の消毒を完全にするはいうまでもなく、注射後異変の症状がある場合は、適切迅速な診療を施し病勢の拡大を未然に防止すべき注意義務があること勿論である。それにもかかわらず被告は、不注意によつて右義務を怠り、(一)昭和二十四年十月二十六日の注射の際、被告は、偶々往診に出かけるので、取急いだあまり、数日前雇入れたばかりの女中から殺菌しないままの注射器を漫然受取り、これを用いて原告に注射し、(二)そのため、原告は、右上膊皮下膿瘍となつたのであるが、その間において、原告の症状は、その患部が赤腫し、漸次拡張して疼痛甚しく、病勢益々悪化するので、再三被告の来診方を申出たが、被告は右の間について診察することなく漫然原告を放置し、(三)右患部の切開にあたつては、化膿部位の所在を誤り、その処置が適切でなかつたのであつて、これ等の事実が原因して必然的に原告の患部を重大化させ、ために右機能障害を惹起させたことによるのである。被告は、このことによつて被つた原告の損害につき賠償の責任を負わなければならない。
さて、原告は、昭和二十三年十月一日以来訴外八田鉱業所に雇われ機械夫として働いていたところ、前記機能障害のため、重労働に堪えなくなつた結果、昭和二十五年三月二十八日同鉱業所を解雇されたのであるが、被告の本件不法行為がなければ、原告は、何等支障なく右鉱業所に雇われて従前同様の労働能力を保持することができたのである。そうすれば、原告は、右解雇の当時二十九歳の健康な男子であるから、なお、六十歳までは、右鉱業所で稼動し得べく、従つてその間の賃金相当の労働所得はこれを得られた筈であるといわねばならない。而して、原告は、右鉱業所から一ケ年平均七万円の賃金を支給され、ほかに日雇等により一年平均三万円の雑収入を得ていたが右障害の結果、従来の労働能力は半減するに至つたから、自然原告の将来にわたつて得べき労働所得も前記賃金等所得の半額に相当する一ケ年平均五万円の減少を免れない。それ故、原告は、右解雇となつた時の昭和二十五年から昭和五十六年までの三十一年間に得べかりし賃金等の労働所得合計金百五十五万円、これをホフマン式の計算によつて現在の金額にすると、合計金四十六万五百二十五円を喪失した勘定であり、同額の損害を被つたことになる。又、原告は、右不法行為の結果として、右腕に終生癒えない機能障害を受け、あまつさえ、その間に言語に絶する疼痛を忍び、精神上甚大な苦痛を被つたのであるが、原告は、高等小学校を卒業し、日本国有鉄道に機関士として勤務し、これを辞して後前記鉱業所に勤務していたので、右鉱業所を解雇されて以来他に定職なく、老齢の両親と年少の子女三名を擁して妻と共に一家を支えているとはいえ、別に資産とてなく、その家庭生活は暗澹たるものがあるから、前記被害の評価額は、右の事情その他を参酌して金三十万円を以て適正なものと考える。
よつて、原告は、被告に対し得べかりし労働所得の合計額と精神上の被害換算額との総計金七十六万五百二十五円のうち金五十万円の支払を求めるため本訴におよんだとのべた。<立証省略>
被告訴訟代理人は、請求棄却の判決を求め、答弁として
原告の主張事実中被告が診療に従事する医師であること、原告が昭和二十四年九月二十八日その主張の如き被告の診療を受け、その後右治療をつづけ、同年十月二十六日午後四時頃被告が原告の右腕上膊部にその主張の如き注射をしたこと、原告主張の頃被告が原告の右腕上膊部に対して切開手術をしたこと、原告が当時訴外八田鉱業所に雇われ、機械夫として働いていたこと、原告は、昭和二十五年当時二十九歳であつて、老齢の両親と年少の子女三名を擁して妻とともに一家の生計をたてていることは認めるが、その余の事実はすべて争う。原告が当初被告の診察を来めた際、被告は、原告の病症を心臓性脚気と診断して、この治療に必要な薬液を原告に対し皮下注射をしたうえ、数日間の服薬を与え、その後同様の治療をつづけたが、原告は、昭和二十四年十月二十六日被告の診断を受けた当時、既に、右上膊皮下膿瘍を発病していたので、被告は、単にその治療をしたに止まり、右疾患は、被告のなした注射によつて生じたものではない。その後、右治療にあたり、被告は、原告主張の頃右患部の切開手術をなしたことはあるが、その処置についても何等過誤はなかつた。偶々被告は、耳疾のため、同年十一月六日札幌市に出向いて橋本病院で、その治療を受け同月十三日帰宅したことはあるが、原告には、その間不在にする旨を告げて若干日の投薬をしておいた。被告帰宅後も、原告は、同年十二月十三日まで引続き被告の治療を受け、漸次快癒しつつあつたにもかかわらず、その後、原告は、擅に被告の診療を受けにこなくなつたので、被告は、同月十九日を以て原告に対する診療終了の手続をとつた。
右の次第で、原告が前記疾患に起因して本件機能障害を胎すに至つたことについては、被告には何等過失はないから、これを前提とする原告の本訴請求は失当である。とのべた。<立証省略>
当裁判所は、職権を以て被告本人(第二回)の再訊問をした。
三、理 由
被告が診療に従事する医師であること、原告が昭和二十四年九月二十八日被告の診療を受け、心臓に疾患があるようだというので、その治療として被告が原告に対し皮下注射をしたこと、その後右治療を継続し、同年十月二十六日午後四時頃原告がその右腕上膊部に被告から数回目の皮下注射(以下本件注射という)を受けたことは当事者間に争いのないところである。原告は、右上膊皮下膿瘍の疾患の生じた所以のものは、本件注射にあたつて、被告がその過失によつて、殺菌しない注射器を用いて、漫然原告に注射したことによると主張し、被告は、これを否認するので、まずこの点について判断するに、証人鮫島夏樹(第二回)の証言によれば、凡そ注射によつて膿症をおこすことがあり得るのは、注射器の消毒が完全でなかつたとか、注射液が不良であつたとか、不良でなくても注射液の性質によつて或は患者の体質に合わないため素質を害するとか或は刺戟が強いとか、或は吸収が遅いとか、又は注射後の油断から注射部位を不潔にしたとかによる等の場合が考えられること、および医師鮫島夏樹が昭和二十四年十一月十日原告を診察した際における原告の症状は、少くとも注射器の消毒不完全から生じたとは認められなかつたことが肯定できる。原告本人訊問(第一、二回)の各結果中右認定に反する部分は措信しない。他に右認定を左右するに足りる証拠はない。そうすれば、原告の前記疾患の原因は、必ずしも明瞭ではないが、これまで数回の注射によつて原告に何等異状のなかつたことから推して、注射液の性質が原告の体質に適合しなかつたため膿症をおこしたとは考えられないから、残るところは注射液の不良によるか又は注射後原告の不注意その他によるというのほかはない。而して注射液は、元来適法な検印あるものを購入使用されていたものと思われるから、特別の事情のない限り、本件注射液も不良でなかつたものと推定されるので、結局、被告は、本件注射について何等過失はなかつたといわざるを得ない。
原告は、前記疾患に起因して本件機能障害を胎すの余儀なきに至らしめたのは、本件注射後被告がその過失によつて、適当な検診をなさず医療を疎略にした結果によるものであると主張し、被告は、これを否認するので、以下まず原告の症状および診察の経過を案ずるに、成立に争いのない甲第六号証と被告本人訊問(第二回)の結果によりその成立を認め得る乙第一号証に証人鮫島夏樹(第一、二回)の各証言ならびに原被告各本人訊問(各第一、二回)の結果および鑑定人鮫島夏樹の鑑定の結果を併せ考えると、原告は、昭和二十四年九月二十八日被告から心臓性脚気と診断され、爾来その療法としてビタミン剤の皮下注射を受け、散薬を処方して貰つていたが、同年十月二十六日本件注射後身体に悪感を生じ、発熱を覚えたので、同夜使を派して被告の来診を求めたところ、被告は、これに応じかねたため、当座の処置として頓服二服を使に持たせて帰えしただけで、その後ついに、往診することなく漫然原告を放置した。原告は、被告の来診がないので、疼痛に堪えかねて、同月二十九日人に援けられて漸くにして被告を訪ねその診察を求めたが、この時、既に原告の右腕上膊部は、発赤腫脹し化膿状況に進行していた。被告は、これに対する療法としては、単に従前使用のビタカンフアを原告の左腕上膊部に注射しただけで、患部については、三日程すれば完全に化膿するからそのうえで化膿部分を切開するが、それまで湿布して患部を冷すよう指示した。そこで、原告は、被告の右指示に従つて湿布薬を買い求めて、これを患部に塗布して只管時の経過を待ち、同月三十一日頃被告から右患部の切開を受けたのであるが、この間、病勢は悪化して、原告の疾患は、右上膊皮下膿瘍に進展していた。而して、被告は、右手術にあたつては、特に入念に化膿部位を確めることなく、その不明のままに、原告の前記患部を漫然二ケ所にわたつて切開したが、排膿が少量であつたため、爾後切開部のガーゼの取替えをする程度の治療を繰り返えして、まだその部位が治癒に至らないうち、同年十一月六日頃から同月十三日頃までの間札幌市に出向いて、その不在中の治療は、原告にまかせて顧みなかつたので、原告は、愈々患部に苦痛を覚え、一方被告からの診療を継続することに不安を感じ、意を決して同月十日鵡川厚生病院に赴いて鮫島医師の診察を受けるに至つた。当時、原告の膿症疾患はこれをこのまま放置すれば或は敗血症を併発するかも知れないという域にまで達していたので、同医師は、患部に漏口をつくつて排膿し、化膿止の注射薬を注射し、同月十五日まで治療をつづけて、原告をして漸く快方に向わしめたが、原告は、右患部に重労働に堪えない程度の筋萎縮等の機能障害を胎すに至つたことを認めることができる。原被告各本人訊問の結果中右認定に反する部分は措信しないし、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
そこで、つぎに被告に果して診療上過失があつたかどうかの点であるが、前記争いのない事実および右認定の事実によれば、被告は、本件注射後原告から発熱疼痛のため、来診を乞われたのであるから、たとえ同夜往診ができなかつたとしても、元来、診療に従事する医師は、診察治療の求めに応ずる義務があるうえに、被告は、かねてから原告の診療をつづけているのであり、殊に原告の右発症が本件注射当日の直後であつてみれば、かかる症状が注射の結果、往々にして惹起し得ることに鑑み、その後において速かに検診を行つて診断の確立を期し、時宜に応じた医療処置を講ずべきであつたのに、ついに、原告を検診する等の処置をなさず、同月二十九日原告が人に援けられ漸くにして被告を訪ねて診察を乞うに至るまで、頓服二服を与えただけで、漫然放任した。この時、既に原告の右腕上膊部は、相当に発赤腫脹し、化膿状況に進行していたのであるから、このような場合、医師としては、これを防止するため何等か特段の処置を講ずる必要があるにかかわらず、被告は、これを打ち棄てて、単に従来の治療とかわらない注射をしたに止まり、患部は寧ろ化膿するままに放置した。而して、その切開手術にあたつては、まず化膿部位の所在を入念に検診し、診断の確立に努めたうえで、細心の注意を以てこれを行うべきであるのに、被告は、右手術をなす際、化膿部位が不明であつたにもかかわらず、前記の如き注意を払うことなく漫然原告の前記患部を切開したため二ケ所の切開部位を余儀なくした。しかも、その後の治療は、切開部位のガーゼの取替え程度をつづけていて必ずしも快方に向つていたのではなかつたし、この間被告は、原告の治療を中断する事情が生じたのであるから、かかる場合病勢は、どのように変化するかも知れないことを慮つて、被告としては、元々外科治療を専門としないことであり寧ろ進んで原告に対し何等か適当な療養の方法を指導して病勢に異変の生ずることがないよう万全を期しおく等注意義務があるにかかわらず、漫然その不在となることを知らせただけで、その間の療養については、原告にまかせて顧みなかつたものと結論せざるを得ない。
これ等の諸点は、すなわち、被告の診療上の注意義務を怠つた過失があつたものというべく、このことによつて原告の病勢が次第に進展し、ついに重大化したものと考えられる。
つぎに、それならば、原告の前記認定の機能障害は、原告の主張する如く被告の以上の過失に起因したものであるかどうかについて判断するに、証人鮫島夏樹(第一、二回)の各証言によれば、同人が原告を初診したときは、その皮下膿症の疾患は、既に著しく悪化していたので、この段階においては本件の如き機能障害が胎ることは免れない状態にあつたこと、これまでに進展する以前、原告がその患部の適正な切開又は化膿止の注射等の治療を受けておれば、本件の如き機能障害は阻止し得られたことを認め得るので、以上の点を綜合して考察すると、もし、被告に上記の過失がなかつたとすれば、原告は、その疾患を軽度のうちに治療し得たものと認めるを相当とするから、結局、原告が本件機能障害を胎すに至つたことは、被告の上記作為義務に違反した不法行為の結果であつて、その間相当な因果関係をもつものといわなければならない。尤も、その間原告が被告の治療中断後数日間を経て鵡川厚生病院に転じて治療を受けたことによる時間の経過と病勢の或程度の進行を考えなければならないけれども、原告の右治療を転じた行為は、上記認定の如き被告の診察経過に鑑み、洵にやむを得ない自衛処置というべきであるから、右の行為は、被告の責任を中断若しくは減軽する事由とはならない。果してそうであるとすれば、被告は、本件機能障害を胎すに至つたことに原因して、その結果生じた原告の損害について賠償する義務があるものといわなければならない。
よつて、進んで右によつて原告の被つた損害について案ずるに、証人池田孝、那須行雄の各証言ならびに原告本人訊問(第一回)の結果を併せ考えると、原告は、昭和二十四年三月二十一日以来訴外八田鉱業所に勤務していたが、本件機能障害によつて重労働に堪え得なくなつたため、休職をつづけているうち、昭和二十五年三月二十七日同鉱業所を退職するに至つたことを認め得る。してみると、原告は、同鉱業所を退職したことによつて、差当り、爾後同鉱業所から得べかりし賃金所得を全く喪失したものであつて、ここにいわゆる損害があるというべきであるが、前記池田証人の証言によれば、同鉱業所では当時原告に対し日給二百三十二円を支給し、月十五日以上稼働のあつた場合は、手当として合計千六百円を別に支給していたことおよび原告が実際に稼働したのは、昭和二十四年五月に十二日間、同年六月に十九日間、同年七月に二十一日間、同年八月に二十日間、同年九月に十二日間、同年十月に五日間であることが認められるから、この事実から原告の同鉱業所での稼働率を月平均十七日間(前記十月の分は除外するを相当と認める)と算定してその賃金所得を月平均五千五百四十四円(月十五日以上稼働すると認めて前記手当金を加算)と推断し得ないでもない。しかし、前記鑑定の結果、原告本人の供述、証人那須行雄の証言によると、被告は、たとえ重労働には堪え得なくなつたとしても、軽労働には十分従事し得て、遅くも昭和二十五年三月二十八日以降日雇その他の稼働をなしていることが推認できる。そうしてこの事実と軽労働による収入が一がいに重労働による収入よりも少額であることは考えられないこと、日雇賃金は、一日二百円を超えることが一般であることや弁論の全趣旨を併せ考えると、他に格段の立証のない本件にあつては、却つて、原告は、日雇その他の稼働をなし、少くとも前記認定の賃金所得と同額の収入を挙げていることが窺い知り得られるから、原告主張の得べかりし労働所得を喪失したという損害は結局ないというのほかはない。従つてこの点に関する原告の主張は、爾余の判断におよぶまでもなく不当である。しかしながら、原告は、本件機能障害によつて前記の如く重労働に堪えない一種不具者となり、そのため、従来の勤務先を退職するの止むなきに至り、あまつさえ、その間に言語に絶する疼痛を忍んできたもので、その精神上の苦痛は、深刻なものがあるこというまでもないところであつて、かような精神上の損害は、結局被告の上記不法行為に原因する損害であるから、被告は、これを賠償する責任があるといわなければならない。而して、当事者双方に争いのない原告が老齢の両親と年少の子女四名を擁して妻とともに一家の生計をたてていることおよび前認定の諸事情その他諸般の事情を併せ考えると右損害の額は金五万円を以て相当と判定する。
よつて、原告の本訴請求は、右精神上の損害額五万円の限度において正当としてこれを認容し、その余は失当として棄却すべきものとし訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十二条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 猪股薫 中村義正 古川純一)